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新英語教育研究会神奈川支部HP

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2 テレビドラマ『冬構え』(山田太一)、『歸國(きこく)』(倉本聰)など

2011.05.16 山田太一さん
 先週、徹子の部屋に山田太一さんが出演されていたので、珍しく録画をセットして観た。浅草で食堂を経営していて繁盛していたが、強制疎開で湯河原へ。お父さんは浪越徳治郎さんに指圧を習いに行って開業し、一家を支えた。しかし山田さんが中学1年の時に、お母さんが心労があったのか、疎開してすぐに死去。なれない土地で葬儀が行われたのだが、近所の方達が数人やってきて、お母さんを剃髪し、着物を脱がして、湯かん(たらいにお湯をはって洗う)をし始めて、山田さんは大きく動揺した。お父さんを見やると、何も言わずにいる。すると近所の人たちは今度は大きな桶にお母さんを座らせて、御神輿のようにかついでお寺の境内をえっさほいさと3周。これではまるでお祭りではないかとさらにショックを受けた。地元の人は親切のつもりでやっているのだろうけれど。自分がこんなにショックを受けているとは気づいてくれない。「人は人の気落ちが分からない」と山田さんは感じたという。それがドラマの脚本を書くときの「核」になっていたのだと言う。
 ところが3年前ぐらいにお姉さんとそのときの葬儀の話題が出たので、「いい葬儀だったわね」と言う。それは「お父さんの郷里の九州の作法を近所の方々がやってくれたものだから」だというので、山田さんはびっくり。今更、記憶を換えるわけにもいかず、このお話をしながら、山田さんは苦笑していた。
 いわゆるトラウマというのは、悪い効果をもたらすのではなく、その人の「核」になることがあるというのが、このお話からもよくわかった。人間、ピュアでクリアになればいいっていうものではない。


●2009.09.26 ドラマ「冬構え」(1985年)
NHKアーカイブスで(土曜午前)で笠智衆さんが主演、山田太一さん脚本の「冬構え」(NHK総合、1985年)を初めて観た。新聞で見つけたので、母に電話で連絡したら、観る予定だったという。私も一人でじっくり観た。

80歳になろうかという笠智衆さん演じる老人が東北の名所を旅している。鳴子の旅館で仲居さんをしていた若い女性(岸本加世子)にチップとして2万円手渡す。彼女はびっくりして、旅館で板前をしている彼氏(金田賢一)に相談する。彼女は彼氏と所帯を持って小料理屋をしながら暮らしたいという夢がある。彼女は、羽振りの良い笠智衆さんに300万円ほど出資してもらおうと考え、2泊して去ってしまった笠智衆さんを彼氏と一緒に追いかける(彼氏は直前にケンカし、旅館を首になっていた)。旅の途中で追いついた彼女は自分の夢を笠智衆さんに語る。すると翌朝、笠智衆さんは150万円を手渡し、タクシーに乗って再び去ってしまう。望んでいた大金を手にして喜びつつも不審に思ったカップルは再び追跡する。次に、笠智衆さんはかつての同僚だった男性で今は病院で寝たきりになっている友人(小沢栄太郎)のもとを訪れる。その友人は、痴呆になって寝たきりの妻が別棟の病棟におり、自分が死ぬに死ねないことを嘆く。笠智衆さんは「大丈夫、大丈夫…」と言いながら、その友人の手を握るしかできない。その夜、その友人に向かって、笠智衆さんは自分が貯金を全部下ろし、東北旅行で財産を使い尽くす計画であることを打ち明ける。友人は笠智衆さんが死ぬ覚悟でいることに気づき、「それはいかんよ…、いかんよ」と繰り返す。笠智衆さんはその場を辞した後、崖の上に立ち、海に向かって飛び降りるのだが、思わす、崖にしがみついてしまう。手足をケガしただけでホテルにいたところに、あのカップルが追いつく。彼氏は笠智衆さんが死ぬ覚悟でいることにやはり気づいており、どうにかしたいと考えて、青森の自分の実家に笠智衆さんを誘う。そこは祖父(藤原釜足)だけがおり、他の家族は出稼ぎで居ない,寂しい一人住まいである。彼氏は祖父に「生きていることは素晴らしいと(笠智衆さんに向かって)言ってくれ」と頼む。しかし、祖父は「生きていることは素晴らしいと言ってくれ、と孫に言われたが、そんなことは言えん。」と笠智衆さんに切り出す。そして最後、「慣れてくれば、自分も話すようになる」と語りかけ、しばらく滞在しないかと勧めるところで、物語は終わる。

ドラマが終わった後、山田太一さんがこのドラマについてのインタビューに答えていた。老人が体力のあるうちに自分の始末をつけようと考えた話だが、「思いがけない他者」に救われるということを描きたかったのだ、とのことだった。救いの手を差し伸べる「思いがけない他者」とは、このドラマでは笠智衆さんにとっては彼氏の祖父でもあるが、カップルにとっては笠智衆さんであるという構図になっている。救われる人は別の局面では救う人にもなれるのだ。ここが山田太一さんの巧みな構成であるが,普遍的な真実を提示したのだと思う。

年代に応じて人々が抱えている、どうしようもない「生き難さ」は、死ぬこともままならない「逝き難さ」でもあることが描かれている。しかし山田太一さんは,人生に恒常的な幸福やきれいな「解決」はないが、どこかに一時の歓喜にも似た「救済」があるのだということを示す。若いカップルは旅館でなんとか生活費を稼ぎ、苦しい気落ちを抱えているが、海岸を走ったりしながら笑い合い、「生きていることは素晴らしい」という体現することができる。一方、妻に先立たれてはいるが子どもや孫にも慕われ、そこそこのお金はある恵まれた老人も「生き難い」気持ちを抱えているが、老人2人で古い農家の部屋でお茶をすすりながら孤独を共有し合って微笑み合うことが出来るのだ。

 人は、寂しい気持ちを抱えながらも、他者から注がれる慈愛の眼差しに気づけば、救済となるような「心の奥に何かがポッと点灯されたような、ほの温かさ」を感じることができる。その様子は中島敦「わが西遊記 悟浄嘆異」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/617_14530.html)に描かれている。その一節が私の中ではリンクした。人生にきれいな「解決」はない、しかし「救済」はある。山田太一さんや中島敦さんのような方々を知っているだけで「ほの温かい」気持ちになります、私は。
 
追記1:小泉八雲の「日本の面影」をドラマ化した山田太一さんは私の分類ではもちろん「出雲チーム」です。
追記2:開高健さんの作品で「寂しいですが,私は」と語る男性のことを描いた短編(「珠玉」だと思うのですが)のことが心をよぎったので、探したいと思います。

●2009.01.25 山田太一さん脚本のドラマ『星ひとつの夜』+『サイラス・マーナー』
 昨日は山田太一さん脚本のドラマ『星ひとつの夜』(2007年)の再放送があったので観た。六歳の娘がいた既婚の商社マン(渡辺謙)が主人公。同じマンションに住む女性と浮気をしていたのだが、その女性が殺害されて殺人犯として逮捕され、服役する(しかし実は、冤罪であるという設定)。11年後に出所して掃除婦として保護司の人に見守られながら働いている。90億円を動かすデイ・トレーダーの青年(玉木宏)とその恋人との交流を描いた作品だが、人は人との関わりなく生きることはできないというメッセージが伝わってきた。商社マンとして順風満帆に暮らしていて、いい気になり、浮気をして歯車が狂い、一気に転落していくという設定に「人間は魔が差すことがあるから気をつけて!」というメッセージを読み取った。人間、魔が差すんですよ。だから『リア王』のような古典を読んで「和解」や「赦し」について考えないといけないんでしょう…。そう思いましたよ。
(現在放送中の、山田太一さんの『ありふれた奇蹟』も観ています。『岸辺のアルバム』の八千草薫さんがお祖母さん役で出ています。続けて観たいと思っています。)

 悲しい過去を持つ男が若い人に癒されるという物語で思い出すのは『サイラス・マーナー』がある。お世話になった故・黒川泰男先生に本をいただいた、思い出のある物語だ。私より上の世代ではよく読まれていたのではないかな? こういう物語を生徒たちに伝えたいですね。

●2010.08.14 『歸國(きこく)』(8月14日放送 TBS系)
「あんまりじゃないか、きみ。」ドラマ開始1時間半で北野武さんが言うセリフ、そして、ドラマ開始2時間で長渕剛さんが言う「今の日本を作るために我々は死んだのではない」。それは戦争でなくなった人々の代弁であり、同時に現代日本の人々、私たちに対する倉本聰さんの心の叫びなのだろう。

大宮上等兵(北野武さん)は妹(小池栄子さん)が浅草のダンサーをしていた。妹は学徒出陣した学生の子どもを身ごもり、戦後は一人息子を育てるために進駐軍向けのホールで踊るようになり、将校の「オンリーさん」になって、そのあと捨てられて、最後はストリッパーになりながらも息子を育て上げた。現在、63歳になる妹の息子である甥(石坂浩二さん)は大学教授になった。一方で、老いた妹は植物状態で生命維持装置をつけられて5年間もそのままにされ、甥は見舞う事がない。そして大宮上等兵が見守る中で、病院で親しくしていた少女が妹を安楽死させる。大宮上等兵は、妹のかわり果てた姿と哀れな境遇を見て、肩の荷が下りたとしか感じていない甥に激怒し、甥を刺殺する。場面変わって、外の公園で「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の…」を口ずさむ大宮上等兵の元に霊となって再び目の前に現れた甥(石坂浩二さん)が「僕は何を間違えたのでしょう?」と言う。その甥を大宮上等兵は殴る。「目が覚めた気がします」言う甥に「恥を知れ」と言い放つ。
(私の感想としては、刺殺しないで欲しかった…。倉本さんの世の中に対しての怒りがこの表現になっているのだなぁと感じた。富良野塾を解散するくらい、若者に失望しているんだなと感じた。今朝観た、水木しげるさんのような生き方を知ると、私はホッとします…。水木さんには「怒り」「失望」はない。)

宮沢賢治の童話集のひらがなに小さな○をつけて「君に会いたい…」と恋文にした木谷少尉(小栗旬さん)と検閲していて気づいたが見逃してあげた志村伍長(ARATAさん)のエピソード、学徒出陣、戦地からの手紙・小包の検閲、美大生たちの遺作のある「無言館」(長野県上田)のこと、「子どもは歌を忘れてメールを打っている」ので、子供たちは歌を歌うようにというメッセージ、そして、貧幸(ひんこう:貧しくとも幸せ)というメッセージなど、ある面、切り貼りのように、話題とメッセージがちりばめられていて、2時間枠によくぞ織り込んだと感心すると共に、倉本聰さんの思いが溢れすぎているなあという感じがした。
この作品は、今後の活躍を期待したい若手の俳優さんたち(小池栄子さん・小栗旬さん・向井理さん・ARATAさん…)に対する、倉本聰さんが出した「宿題」になっている。それは私たちへの宿題でもある。大きい宿題だなぁ。

追記:現在102歳で存命する遠山中将が車椅子で老人ホームを抜け出して、野外で「迎え火」を焚いていて、霊となった秋吉部隊長(長渕剛さん)と語り合っていたら、老人ホームの職員達が「おじいちゃん、火なんて焚いたらダメでしょう!」と言って、あわてて消火し、遠山中将の「迎え火じゃ…」という声をかき消して、ホームに収容するという場面もせつなかった。
ルターの家系はキリスト者なので、迎え火も送り火もナスやキュウリの馬も作ったことがないし、新盆の提灯も飾ったことがない。日本に生まれたのになぁ、せつない…。


参考:棟田博さんの『サイパンから来た列車』という短編小説がモチーフになっているという。

資料:番組HPを引用
●ビートたけし…大宮上等兵
子どもの頃に両親を亡くし、身を寄せていた親戚にたらい回しにされた後、妹の「あけび」と二人だけで東京へ逃げてきた。浅草でテキヤを生業としていたが、応召されて秋吉大隊に配属。沖縄へ向かう途中、空爆に遭い行方不明に。一方、浅草で大人気の踊り子となり、大宮の唯一の自慢だったあけびは、終戦後も生き延びていた。大宮は立花に連れられ、あけびと再会するが…。
●小栗旬…木谷少尉
学生時代は音楽学校でチェロを学んでいた。そのとき、ピアノを弾く恋人と共作で作曲をしていたが、完成を前に応召。幹部候補生として入隊後、ほどなく秋吉部隊に配属。沖縄へ向かう途中、米国の空襲に遭い行方不明に。英霊として帰国後、存命する恋人のところへ向かう。
●向井理…日下少尉
学生時代は美術学校で絵画を学んでいた。「学徒動員計画」が決まったのを受け、故郷へ帰り結婚。3日間の新婚生活を過ごしただけで、学徒出陣で応召、幹部候補生として入隊。その後、秋吉部隊へ配属され、沖縄へ向かう途中で戦死。妻をモデルに描いた絵が、未完のまま出征したことを悔やんでいる。
●塚本高史…竹下中尉
早稲田大学野球部でピッチャーとして頭角を現し、六大学野球で“早稲田の竹下”として知られるも応召。幹部候補生として訓練を受け、准尉として中支へ派遣される。終戦を迎える年に秋吉部隊へ配属され、沖縄へ向かう途中で戦死。英霊として帰国後、早慶戦の思い出の地、神宮球場へ向かう。
●ARATA…志村伍長
ある工場の工員として働いていたとき、演劇と出会い役者を始める。その後、徴兵されるが、軍事教練中の事故により負傷、除隊。戦局が悪化する頃、緊急召集令状により軍隊復帰し、検閲係となった。厳しい検閲で周囲より憎まれる存在だったが、その後、精神的におかしくなり首を吊って自殺。狂ったまま靖国神社をさまよっている。
●遠藤雄弥…水間上等兵
製絹会社で働いていたときに出征。工兵として北支戦線へ送られるが、病気を患い本国へ送還される。太平洋戦争開戦から数年後、再応召。航空機整備の訓練を受け、整備兵として鹿児島へ。その後、終戦を迎える年に秋吉部隊へ配属され、沖縄へ向かう途中で戦死。
●温水洋一…坂本上等兵
小学校を卒業後、地元故郷の鉱山で働いていたが、応召され北支派遣軍に配属、河北省へ送られる。兵役解除により帰国すると鉱山へ復帰。その後、再応召された年に太平洋戦争開戦。終戦を迎える年に秋吉部隊へ配属され、沖縄へ向かう途中で戦死。
●生瀬勝久…立花報道官
苦学して早稲田大学へ入学後、思想問題で特高に逮捕され、拷問を受けた3日目に改心を宣言して、ほどなく軍の報道官として採用される。終戦を迎える年、慶良間の空軍基地に派遣され、その玉砕から逃亡しようとして射殺される。それから、亡霊として帰京後、東京をさまよっている。
●長渕剛…秋吉部隊長
山梨県小淵沢の農家の出だが、上京して陸軍士官学校へ入校。実戦部隊に配属後、さまざまな軍功を立てて少佐に昇進、鹿児島本面師団へ配属。沖縄支援のため大隊を率いて出撃するも、空襲を受け輸送船が撃沈、死亡。英霊として帰国後、当時の上官で、現在102歳で存命する遠山中将の元へ向かう。


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